裁判員制度は筋の悪い話

裁判員裁判が始まった。
世の中には、これは何か変だと思うのだが反対の大きな声は上がらず、そのまま進行してしまうことがある。
私にとって裁判員制度はそのような事柄である。
サッカーくじの時もそのような感じだった。
思うに、はっきりした反対サイドの組織やグループが存在しない場合に、こういう事が起こるのではないか。

私は直感的に裁判員制度は筋の悪い話という印象をもっているが、そうはいってもやるからにはメリットもあるだろうと思って、以下のような推進者の話を読んでみる。
すると今回もそうだが、そして考え方が違うと言ってしまえばそれまでだが、なぜ裁判員制度を導入するかについて、納得できる説明を読んだ記憶がない。

政府の司法制度改革推進本部メンバーとして裁判員制度導入に深くかかわった四宮啓弁護士は、8月4日付の産経新聞2面で以下のように述べている。

①日本の刑事裁判は透明性が低くアンフェアである。
②密室で捜査官が作る調書が証拠の中心となり裁判員が執務室で分厚い証拠書類を読んで事件の心証が決まる。

(反論)
私の基本的な認識として、裁判は法律専門知識が前提として必要なかなり専門的な世界だと考える。
その法律や判例に精通した専門家が分厚い証拠書類を丹念に読んで読んで事件の心証が固める以上に良い方法があるだろうか。
勿論、裁判官によっては細かく資料を調べるのは得意だが幅広い判断力に欠ける人もいるだろう。
そういうことの対策は必要であっても、この事項に限って言えば、むしろ、専門家が法律と判例に従って判断することによって、それが即判決という意味ではないが、一義的な公平性が担保されることを肯定的に捉えるべきではないだろうか。

裁判員制度では、次のようなメリットがあると言っている。

③裁判員制度では、裁判員が法廷でのやり取りから心証を掴むようになる。

(反論)
俄か作りの裁判員が法廷でのやり取りからろくに調べもせずに掴んだ心証にどういう信頼性や公平性があるのだろうか。

④国民が参加することで透明度が増してフェアになる。

(反論)
四宮氏は、フェア・アンフェアという言葉もいい加減に使っている。私には、フェアとはご自分意見であり、アンフェアとはご自分意見に反することとしか理解できなかった。

⑤この制度の「みそ」は裁判員が無作為に選ばれること。
無作為ということは法律の知識や裁判の経験がいらない。
そこは裁判官が担当する。
裁判員の「常識に基づいた判断」が純粋に期待されているのです。

(反論)
ここの部分が一番ひどい。
無作為に選ばれたどこの馬の骨だかわからない人にどういう常識を期待するのだろうか。
また、期待できる根拠は何なのだろうか。それとも日本人なら誰でも常識を持っているとでも言うのだろうか。
そもそも「常識」とは何を指すのか、四宮氏は法律の専門家であるにも拘らず、定義もせずに多分よく考えもせずにご自分の話のキーとなる概念を振り回している。
私は常識にもレベルがあると考えている。
言葉で決めるのは難しいだろうが、世の中では、信頼できる人とかバランスの取れた考え方の人とか言って、いわゆる常識のある人を見分けている。
下品に言い換えると、この制度の「くそ」は「裁判員が無作為に選ばれる」ことにある。

裁判員制度の誤りは、現状の裁判の問題点(例えば時間が長いや冤罪の発生等)の対策として、裁判員制度という仕組みをもってきたことだ。
その裁判員制度は、無作為選出という致命的な欠陥をもっていた。
もっと裁判をオープンにと言うならば、他の分野の識者の協力を仰ぐしくみ・工夫もいろいろ考えられるはずだ。
私にはこの件、仮に問題点の指摘は妥当だとしても、その分析が稚拙なため誤った対策が採用されたケースのように見える。

まったくの推測だが、違う角度からこの裁判員制度見ると、法務省の天下り対策ではないかという気もする。
この制度改正の実施でどれだけのコストをかけたのだろうか。
普及対策でどれだけの外郭団体を作ったのだろうか。
天下り先が少なかった法務省は、高笑いしているのではないか。
民主党には、そういう分析もしてもらいたい気がしている。

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この記事へのコメント

シリウス
2009年08月05日 13:07
アメリカの「対日年次改革要望書」に沿って行われる市場開放ならぬ
司法開放で大挙やってくるアメリカ法曹業界の飯の種・・・かも。
ベーヤン
2009年08月05日 14:23
私自身もずっと疑問に思っていたこと。裁判はというより司法に関しては
ど素人の口をはさむ場所ではないと思っています。司法に携わるために司法試験があり、それを通るために努力をしてきた人たちが必要とされるのです。
もし、私が裁判員に選ばれたらを考えてみた時から疑問は大きくなりました。勿論私は司法の勉強をしたことなどありませんし、人として自身が全くないと考えた時、無作為選出ということが恐怖に近いものとなりました。
病院の救命病棟に心療内科の先生が一緒に治療にあたり、病人は勿論その家族の人々の心のケアをすることの重要性と同じに、何もわからない裁判員をおくより精神・心理の有識者が必要なのではと思っています。

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