トルコ紀行

トルコの魅力はその悠久の歴史にある。
今回のツアーでは、シュリーマンの発見したトロイ遺跡(BC3000~BC300)を手始めに、異なるそれぞれの時代を楽しむこととなった。

①ヘレニズム時代
 BC334マケドニアのアレキサンダー大王がペルシャを打ち負かし、ギリシャ文化が広く浸透。
②ローマ時代
 BC272年にローマ帝国はイタリア半島を統一。
③ビザンティン帝国
 330年にコンスタンチヌス帝はローマ帝国の都をイスタンブールへ移し、キリスト教を国教とした。
④オスマン・トルコ
 1326年オスマン・トルコ族が征服して都とした。

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                             トロイの木馬      

今回のツアーは、イスタンブールからスタートし、トルコ全土のほぼ半分に当たる西側部分をバス(走行距離1,700km)+アンカラ・エクスプレス(アンカラ~イスタンブール)で回って再びイスタンブールに戻ってくるハードな旅だった。

印象に残ったのは順路順に以下の通り。

①ベルガマ(ペルガモン遺跡)
ヘレニズム時代の遺跡。BC281年アレキサンダー大王の部下がペルガモン王国を建設した。
BC2世紀には第2のアテネと呼ばれた。
昔のポリスは防衛上の理由から見晴らしの良い丘の上に建設されたことが、実感として分かった。
丘の急斜面を利用して造られた巨大な劇場跡や丘の上から見渡す壮大なパノラマを見て、往時が偲ばれ言い知れぬ感動を覚えた。

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                             丘の上から

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                             劇場跡にて

②エフェス都市遺跡
ローマ時代のBC2世紀には人口25万人に達したという。
クレオパトラとローマの名将アントニーがデートしたと伝わる大理石通りや図書館跡、大劇場跡は往時の繁栄を偲ばせる。
娼館への案内図や公衆トイレなどユーモラスな処もあって楽しめる。

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                             大理石通りにて                            

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                             図書館跡にて

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                             公衆トイレにて

③パムッカレとヒエラポリスの遺跡
パムッカレとはトルコ語で“綿の城”の意味で石灰質を含んだ温水が流れ落ちる途中で固まって階段状に溜まってできた純白の石炭棚。
この天然の奇観、保護のため、裸足が義務付けられており歩くと痛いが、見るだけでなく直接体感できたので興味深かった。
パムッカレの石炭棚の頂上には古代都市ヒエラポリスの遺跡が広がっている。ヒエラポリスはベルガマと同様ヘレニズム時代の遺跡だが、この丘の上のポリスと石炭棚との組み合わせが意外感があって面白かった。

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                             石炭棚にて

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                             石炭棚にて

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                             ヒエラポリスにて

④シルクロード
コンヤからカッパドキヤへの道はシルクロードの一部とのこと。
何もない枯れ草の草原の背後に樹木の全く無い裸山が連なりその中をひたすらバスは走った。
平山郁夫の絵を見るような何も無い草原と何も無い裸山が織りなす雄大なモノトーンはどこか幻想的だった。

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                             車窓からシルクロード

順序が逆になるが、チャナッカレからパムッカレに至る西海岸沿いの部分では、オリーブの菜園が目立った。
オリーブしかないと言ってもいいくらい至るところに植えられていた。
幹は太いのに収穫の便宜を図ってか背を低く抑えられたオリーブが等間隔に植えられていた。

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                             一面のオリーブ

オリーブほどではないが街路樹として目立ったのが松だった。
日本において、松は門松は勿論のこと庭園にて珍重され盆栽に見られるように日本文化体現の代表格にある樹木と思われるが、トルコにおいては常緑樹であることが採用の理由なのか道端でひたすら上方へ伸びることを強いられたような扱いを受けており、これでは松も立つ瀬がない。

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                             松の街路樹

⑤カッパドキア
珍しい形の奇岩が連なってゆく光景のカッパドキア。
柔らかい凝灰岩が雨や風に浸食されてこの不思議な形が生まれたとのこと。
濃い茶色の上部と薄茶色の下部がキノコのように見えるキノコ岩は確かに変わった風景だった。
ただし、奇岩のカッパドキアは事前にインプットされていたのでサプライズはなく、地下8階まである地下都市カイマクルの方が印象深かった。
地下4階まで迷路のような狭い通路を下って行ったが、ここでの生活に人間は何日耐えられるだろうかと思った。
3~4世紀頃ローマ時代の未だキリスト教が迫害を受けた頃の遺物だが、この人間の限界に迫る住環境は迫害の厳しさを物語っているようだ。

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                             ドンドゥルマを片手に

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                             キノコ岩

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                             地下都市カイマクル

⑥イスタンブール
イスタンブールはローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国と3つの世界帝国の首都となった稀有の歴史を持つ。そのビザンティン文化の華、アヤソフィア大聖堂は殊の外美しかった。
ユスティニアヌス1世がビザンティン帝国の威信をかけて完成させた後、オスマン・トルコ帝国のメフメット2世は破壊せずにイスラム教のモスクに改宗した。
堂内のキリスト教のモザイクは偶像崇拝を禁止するイスラム教により漆喰で塗り固められた。
歴史の荒波を乗り越えた赤茶けた外壁はその波乱の歴史を感じさせないほどにソフトで優雅な雰囲気を醸し出していた。

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                             アヤソフィア

オスマン・トルコ帝国のトプカプ宮殿には、ダイヤを拾った漁師がスプーン3本と交換したとの逸話の残る86カラットの「スプーン職人のダイヤモンド」が燦然と輝いていた。
このダイヤは文句なしの美しさだが、食傷するほどに並ぶ大粒のエメラルドやルビーを見ると土人の飾り物を見るようで、歴代のスルタンが兄弟同士の殺し合いを繰り返したという話と合わせて、オスマン・トルコ帝国については良い印象は残らなかった。

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                             トプカプ宮殿

上記の旧市街観光後、ツアーで初めての自由時間となり、現地の人が通うというエジプシャンバザールを散策後、ボスフェラス海峡にかかるガラタ橋の下層に展開する英語のメニューも無い現地料理店に誘われるままに入ったが思いの外良かった。
時刻は夕方6時過ぎ、3杯目のビールを片手に、イスタンブールでボスフェラス海峡を臨み浜風を受けながら、ライトアップされたモスクと沈みゆく夕日を見守る、最高!。

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                             夕日

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                             ライトアップされたモスク

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この記事へのコメント

フェン
2009年09月30日 16:42
トルコも良いところですね。
毎回思いますが、MARUさんは文章を書くのは上手ですね。
少し日焼けしたような感じですが、いろいろとやっていますよね。
では、次の旅行紀行を期待しています。

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